芸術給、野菜給、徒歩給。独自なカルチャーで社内を活性化する会社はコミュニティの力で世界を変える 。

アーティストやクリエイターが一国一城の主となり、ファンとつながる。交流から生まれた熱量 によって創作活動を支えることを目指すコミュニティプラットフォーム「OSIRO」は、売上や利用者数を伸ばしつづけています。サービスを提供するオシロ株式会社の代表取締役社長・杉山博一さんは、OSIROはいずれ普遍的な価値を生み出せると語ります。クリエイターの居場所をつくるプラットフォーム開発はどのように始まったのか。OSIROが提供する価値とは、オシロが目指す未来像とは何か。一連のストーリーを伺いました。

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OSIROの根幹は、お金とエールの両立

── はじめに、OSIROとは何か教えていただけますか。

OSIROは、アーティストやクリエイター向けの、ファンが集うコミュニティプラットフォーム。僕は、日本がこの先も国際的な競争力を維持していくために、クリエイティブ産業の振興にもっと力を入れるべきだと思っています。芸術文化がこの国で発展するには、その担い手であるアーティストやクリエイターが創作活動を継続できる環境が必要です。クリエイターとファンが交流するだけでなく、ファン同士がつながり応援団となるコミュニティがあれば創作活動を支えられる。そう考えて開発をスタートしたのが、コミュニティプラットフォームのOSIROです。アーティストやクリエイターの創作活動を支えることに求められるのは、お金とエール。クリエイターが、ファンから経済的にも精神的にも支援される仕組みをつくりたかったのです。

── お金とエールの両立が必要だと気づいたきっかけを教えてください。

僕自身、小さいころから絵を描くのが好きでした。美大で学び、就職せずにアーティスト活動を開始しました。創作自体はひとりで行うものだと覚悟していましたが、それでも評価や反響の声が届かない孤独には苦しみました。簡単には作品は売れない。そこで、まずは身近な人から頼まれたデザインの仕事を始めました。でも、自分のやりたい表現を追い求めるアーティストと、誰かに求められるものをつくるデザイナーは似て非なるもの。ロゴやWEBサイトの制作は、試行錯誤の連続でした。それでも、つくったデザインが誰かの目に留まり、次の依頼が来るようになりました。28歳になって運よく国際的なデザイン賞に選出されたことをきっかけに、やっとデザイナーとしては食べていけるようになり、30歳のときにアーティスト活動に終止符を打ちデザイナーに専念することを決めました。お金がないことより、応援の声が届かないとアーティスト活動を続けるのは難しい。この原体験が、その後のOSIROの誕生につながっています。

── デザイナーとして評価されていた中で、どのような経緯で起業しようと思われたのでしょうか。

評価が得られて経済的に安定しても、フリーランスだったので創作活動の孤独からは逃れられませんでした。また、クリエイターは素晴らしい職業ですが、僕にはその作品が儚く思えることがありました。24歳で世界一周をした時に訪れたヨーロッパでは、建築物や絵画が街中に今も遺っている。それを思い出したとき、僕も後世に残ることがしたくなったんです。「ビジョナリー・カンパニー」という書籍で出会った「時を告げるのではなく、時計をつくりなさい」という言葉に背中を押されました。太陽や星の位置や傾きから今の時刻を導き出す人は偉大だが、時計をつくれば皆が時刻を知ることができる。優れたアイデアやビジョンを掲げるだけではなく、誰もがそれを共有できるシステムをつくり、形として残すことにこそ意義がある、という話です。僕も時計をつくる側になりたい、誰もが恩恵を享受できる仕事を世に残したいと思いました。

そんなとき、金融業界の方々とたまたまお酒を飲む機会があり、そこでひとりの面白い男と出会いました。アメリカの大学院でMBAを取得した彼は、当時の日本にない金融サービスを立ち上げたいと言う。銀行など既存の組織に頼らずに、専門家が資産運用を的確にアドバイスするサービスです。まだ存在しない仕組みをつくる面白さに惹かれました。だから、金融という未知の業界に飛び込み、全く異なるバックボーンを持つ彼と事業を立ち上げたのです。でも、誰だってお金の相談を赤の他人にするわけがない。だから初めはセミナーへの集客にも苦労しました。話を聞いてもらうには、まず信頼と実績をつくる必要がある。だから僕は、彼を「先生」にするために、本を書くことを提案しました。本を出すような専門家の先生なら話を聞く人も増えると考えたからです。ある出版社の社長さんが機会をくださり、みなで苦労してつくった本は、無名な著者だったにもかかわらず3万部が売れました。すると、期待していた以上に仕事が舞い込んでくるようになった。想いとアイデアが掛け合わさり、事業が軌道に乗ったのです。結果、2024年に上場を果たすほど会社は成長を遂げました。

ニュージーランド移住の道が突如閉ざされ、日本の未来を考えはじめた

── その後、どのようにしてオシロ創業に至ったのでしょうか。

その会社の創業から5年ほど携わったあとに、ニュージーランドと日本を往復する生活を数年続けていました。遠く離れた場所で日本を外から眺めたとき、日本の未来を考えるようになったのです。現在ヨーロッパで存在感を放つ国々は、製造技術の進歩や労働力の増強だけでなく、コンテンツやアートを扱うクリエイティブ産業の活性化に力を入れている。世界でプレゼンスを保つには、日本でも芸術文化の発展がいずれ生命線になっていくのではないか。自分なりの未来予想図を描く一方で、当時はまだどこか他人事のように考えていたのも事実でした。

そんなある日、移住するつもりでいたニュージーランド行きの飛行機に、ちょっとした手違いで搭乗できなくなるハプニングが起きました。最初は呆然としましたが、自分にはまだ日本でできることがあるのではないかと考えさせられたのです。この出来事を僕は、天命を授かったと認識しました。この国でクリエイティブ産業を発展させるために、自分は何をすべきか。他人事として捉えていた日本の未来に対する危機感が、僕自身の問題意識に変わった瞬間でした。僕に「日本を芸術文化大国にする」という使命感が芽生えたのです。

── 芸術文化大国になることで日本は発展すると考えて、OSIROの開発をスタートされたのですね。

はい。日本を芸術文化大国にするためには、アーティストやクリエイターが創作活動を続けられる環境を整備する必要があります。自分の過去の体験から、お金とエールが集まる仕組みをつくろうと考えました。お金とエールが継続的に集まれば、人は創作活動を持続できる。だから、お金を出して応援してくれる人たちが集うコミュニティをつくろうと考えました。さらに、そのコミュニティが熱量を維持するためには、クリエイターとファンだけでなくファン同士が交流できることも必要です。当時もすでに、創作活動を金銭的に支援するサービスはありました。また、エールを届けられるオンラインのコミュニティもあった。でも、お金とエールの両方をクリエイターが受け取れる場はまだ存在していなかった。だから、それを実現するオンラインコミュニティプラットフォームをつくろうと考えました。集まったコアなファンが関係を深め、その熱量がクリエイターを支える、彼らの居場所になれるコミュニティ。それをサービスとして継続的に提供するためのプラットフォーム開発は、星々が集まる銀河の仕組みを解き明かすような途方もない試みです。でも、日本のクリエイティブ産業を発展させるのは自分しかいないと言い聞かせて、OSIROというサービスの開発をスタートさせました。

コミュニティづくりは、対話からはじまる

── 事業の立ち上げにあたって、どのようなことに苦労されましたか。

資金面も含めて様々な問題がありましたが、いちばん苦労したのはコミュニケーションです。オシロを立ち上げたのは、ひとつの機能を実装するのにも真剣なメンバーたち。各々のこだわりも強かったので、意見の衝突がしばしば起こりました。開発にも遅れが生じてきた中で、創業メンバーの一人が「対話をカルチャーにしよう」と提言してくれました。対話を重視するこの会社に根付くカルチャーは、ここから生まれたのです。コミュニティをつくることへの挑戦は、最初は自分たちの小さな会社を醸成させることからはじまったのかもしれません。

── 対話を重視する組織づくりをされている。

そうですね。様々な施策を通じて、定期的に社員同士が対話する機会を設けています。また、コミュニケーションの促進で言えば、アートに触れる機会を増やすために、毎月3万円を会社から支援する制度があります。映画でも服でも構わないのですが、アートに触れる。その感想をレポートに書いて社内で共有する仕組みにしていて、それをきっかけにまた会話が生まれます。また、対話を重視するオシロでは、リモートではなく出社型スタイルを取っています。実際に、同じ空間を共有するメンバーで物事を進めた方が高いクオリティの成果を生み出せるといったデータもあります。通勤は必要になりますが、なるべく非業務でのストレスを増やさないために、オフィスから2km以内に住み歩いて通勤すると徒歩給を支給する制度も設けています。

もっとも、出社型スタイルにした背景には、僕自身が創作活動で孤独に悩まされた経験もあります。社員の心身を第一に考えた組織づくりをしているのです。クリエイティビティを養うために芸術文化に触れる機会を増やしてほしいと思うのも、毎週月曜日に無農薬野菜を配る野菜給制度も、社員の健康を考えているから。はじめは口に出すのが恥ずかしかったのですが、事業を一緒に動かす社員のみんなを家族だと想っている。家族のように、誰もが自分の意見やアイデアを安心して発信できる環境をつくりたい。心理的安全性が高いと生産性が高まるというデータもありますし、何よりOSIROは人と人が仲良くなるためのプラットフォーム。その開発者である僕たちも、密なコミュニケーションを取っていきたいと考えています。

人と人が仲良くなった先にひらかれる未来

── 長期的な視点で進みつづけるオシロですが、今後の課題はありますか。

OSIROは、ありがたいことに着実に成長を続けています。その中で感じるのは、事業をさらに成長させる難しさです。先に進むほど、次々と新たな課題に直面する。どこかでチームとして大きく変革しないと次のステージに辿り着けないと考えています。社会にインパクトを出すには、継続的というよりもむしろ非連続な成長が必要です。それを実現するには、今までとは異なる視点でチャレンジすることが大切です。そのためにも、様々なことに迅速に挑戦して結果を出す必要がある。例えば、最近は企業の社内コミュニケーションツールとしての利用も増えています。これまでのアーティストやクリエイターとファンの交流とは全く異なる領域でも、人と人が仲良くなる仕組みがコミュニケーションの改善に寄与できる可能性が見えてきたのです。ワンプロダクトなだけにオシロのビジネスモデル自体はシンプルですが、コミュニティをつくりだす事業は想像以上に多くの局面で社会に貢献できると思っています。

── 今後、どんな方を採用したいとお考えですか?

オシロは、日本を芸術文化大国にするという壮大なミッションを掲げています。継続して発展できる組織をつくるには、社員全員が高い志で同じ目標に向かっていけることが理想です。オシロ自体を熱量の高いコミュニティにしたい。そのためにも、ただ知識やスキルがあるだけではなく、ポジティブかつクリエイティブな思考で課題解決に取り組める人たちが集まって、お互いに良い影響を与え合う環境をつくりたい。自ら物事を考え抜き、それを成し遂げるまで粘り強く行動する。その熱意を社内に伝播させられる方に入社してもらいたいですね。

── 最後に、これからのビジョンを教えてください。

オシロには、コミュニティづくりの分野をリードできるだけのノウハウが蓄積されています。ファンの没入感を高める世界観の構築。コミュニティを活性化させる企画や設計。AIを導入したコミュニティ運営の自動化。すべてはOSIROの開発思想でもある「人と人が仲良くなる」ための取り組みです。仲良くなると聞くと単純なことに思えますが、そもそも人はコミュニケーションを通じて互いの関係性を深める生き物です。日本でも、社会的なつながりの薄さが幸福度を下げている。健康や長寿はよい人間関係から生まれるというデータもある。だから、コミュニティづくりは人類全体の幸福度の底上げにつながると信じています。実際にオシロも、健康促進や幸福度増加を目指す事業への取り組みを検討しています。

日本が芸術文化大国になった先には、この国の未来がひらけるだけでなく、世界規模の社会課題解決が待っている。コミュニティづくりを突き詰めれば、ノーベル平和賞も取れるかもしれない。アーティストやクリエイターの支援から始まったOSIROは、企業やブランドとファンの交流、社内のコミュニケーションツールにまで役割を拡げています。これまでのビジネスモデルを越えて、オシロが取り組んできた人と人のつながりを生み出す仕組みは社会を変えはじめているのです。多様なバックボーンを持った人々が集うコミュニティをつくることが日本だけでなく世界でこそ求められると考えれば、オシロは今まさに世界規模の企業に成長する途中だと言えます。いずれはコミュニティづくりがひとつの産業になるかもしれない。人と人が仲良くなる仕組みを通じて、世界中の人々が豊かで幸せになる未来。そのときオシロは、コミュニティ産業を牽引する存在になっているはずです。これから入社する方々とも、そういった壮大なビジョンを共有して、一緒に実現していけたら嬉しく思います。

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