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「Re:design」プロジェクトレポート

2014年9月29日、社会とキャリアのこれまでとこれからを考える未来志向のカンファレンス「Re:Designプロジェクト」がClip ニホンバシで開催されました。今回のRe:designのテーマは、歴史のある街「日本橋」。日本橋に集う事業者たちは昔から何を守り、未来に向けて何を創っていくのか。実際に事業創造、企業再生、地域活性化に関わるゲストスピーカーの方々から、その取り組みやキャリアデザインについて、話されました。

パネルディスカッション「Re:design を担う次世代リーダー像とは?」

Re:design というテーマを軸にこれからの社会に求められるべき次世代リーダー像について考えるパネルディディスカッション。老舗事業やキャリアコンサルタントの視点から、これまで築いてきたことに何を重ね、未来に何を残していきたいかが、本音で語られました。

渡邉:
日本橋は歴史がある街。その日本橋で何を守ってきたのか。築き上げてきた歴史や文化などについてお聞かせください。

山本:
日本橋はその昔魚河岸として栄えてきました。山本海苔店はその日本橋で問屋業を営むことから始まったんです。だから何より目利き力を大事にしていて、今でも仕入れにはこだわっています。二代目は最も適正価格で販売することを謳い、三代目からは海苔業界を支える老舗として一枚たりとも不良品を出してはいけないという言い伝えがとても強く残っていますね。

樋口:
弁松総本店は、砂糖と醤油をふんだんに使った甘辛の弁当を販売しています。なぜ味が濃いのかというと、江戸の水質が硬水だったため、だしを鰹節や煮干しで取り、その生臭さを消すために濃口醤油をたくさん使い味が濃くなったという説や、江戸が肉体労働者の街だったため、カロリーをつけるたに濃い味にしたとか、さまざまな説があります。口に合うか合わないかは好みが分かれるところですが、この濃い味付けを変えるつもりはありません。誰の口にも合う味にすればもっと売れるかもしれませんが、私たちは弁松のお弁当を江戸時代の文化として作っています。このように味付けに特徴あることは強みでもあるし、弱みでもある。商売の面白さでもありますね。

樋口純一さん

渡邉:
山本さんが30代、樋口さんが40代と、日本橋では、2人とも若いほうだと伺っています。江戸代から続く老舗の事業を継ぐことを対して、どう考えていましたか?

山本:
父方からは後を継げとは言われてなかったのですが、将来の夢はサッカー選手なんて言おうものなら、母方の親戚からすっごくツッコミが入りましたね(笑)。そのせいか、小学生の頃から「今からリーダー経験を積んでおくべきだ」と思いながら、キャプテンを務めたりしていました。潜在的にそういう意識をしていたと思います。就職活動も経営者になるためにコンサルファームか商社、金融がいいと考え、結局三菱東京UFJ 銀行に入社しました。

渡邉:
銀行に決めたのはなぜですか?

山本貴大さん

山本:
銀行に決めたのは経営者にとって、「これやばくね?」という嗅覚が必要だと聞いたからなんですが、当時はいざなみ景気でむしろどこも絶好調でしたね。結局リーマンショックの頃に辞めたのですが、その時が一番景気も悪くて、勉強できた時期だったような気がします。

樋口:
私は大学を卒業するときに、父親に「継ぐ」ことを伝えました。でも外の世界も見ておいたほうがいいと言われ、新潟の料亭に2 年間修行に出たんです。その後は7 カ月間、世界旅行もしました。帰国後、1997 年1 月に入社したのですが、半年後の6 月に父親が急死し、突然社長をやることになってしまって。古くからいた職人さんたちがいたので製造は心配なかったのですが、それまで「純ちゃん」と呼んでかわいがったくれてた職人さんたちが、その日を境に「社長」と呼ぶようになった。経営者と従業員の越えられない一線というか、これは結構こたえましたね。

渡邉:
社長になった当初の働き方について教えてください。

Re:Designプロジェクトの様子

樋口:
仕込みがあるので、始業時間が夜中の0 時だったり、1 時だったり、予約が多いときは前日の22時だったりもします。土日祝日は稼ぎ時なので休めない。そんな環境でも従業員に少しでも楽をしてもらおうと早く出勤したり、頑張りすぎてたこともありましたが、それだと自分が苦しくなるだけ。今はトップに立つ人間は楽観的にかまえたほうがいいと考えるようになりました。経営者として17 年もやってこれたんだから、これからもなんとかなるかなって(笑)。。

山本:
私は今がまさにそういう時期ですね。老舗って番頭制度とか、特異なことがたくさんあるんです。銀行と比べて非効率だと感じることも多い。衝撃的だったのは、海苔を漁師さんから安く買えたときに、「山本海苔店がこんな安く海苔を買ってるようでは海苔業界が危ない」って社内で言われたことですね。銀行の感覚では、いかに安く仕入れて高く売るかが大事なのですが、ここでは利益を追求することよりも持続性や中長期的な利益を優先している。山本海苔店は業界をひっぱることが任務であると言われて、パラダイムシフトというか、身が引き締まる思いをしました。

最上裕司さん

渡邉:
お二人は腹をくくった瞬間ってありました?

樋口:
やっぱり、若いときに社長になったことですね。あとは世界旅行をしたときに、知らない人と言葉が通じなくても話したことですね。人と話すことは得意じゃなかったのですが、今ではこうして人前で話すことも多くなってとても役立っていると思います。

山本:
生まれた瞬間からくくっていました(笑)銀行員時代は景気がよかったし、中小企業の社長に好かれていたし、天職なんじゃないかと思ってくらい。でも攻めは得意なのに、守りができてなかった。それも全部勉強になっているし、今も役立っていると考えています。

渡邉:
腹をくくれている人とそうでない人の違いはありますか?

最上:
腹をくくれている人って前向きで能動的です。ゴールが見えていて、戦略的に転職活動してる人は腹をくくれている。そうでない人はいい求人情報に食いついているだけ。場当たり的に求人に合わせて、自分の志向や方向性を変えている印象があります。

渡邉:
現在の経営で課題に感じていること、消費者との向き合い方が変わってきていると感じていることはありますか?

樋口:
先代までは数を売ることに注力してきて、百貨店やスーパーからも出店の話をたくさんいただきました。でも今は、そのことに限界を感じています。これからは数を増やすよりも質を上げていきたい。弁松の弁当が口に合うか合わないか、一回は体験してほしい、これからはそんな気持ちとスタンスで臨んでいきたいです。

山本:
海苔は1949 年に春先から秋まで貝の中にいることがわかって、安定的にとれるようになりました。ちょうど百貨店が増えてきた時代で、日持ちがよくて、軽く、お手軽な値段でしかも高級品である海苔は進物用としても重宝されました。でも最近は何でもすぐに宅配してくれる時代となり、ギフトも選択肢が増えてきた。高く売れる市場がなくなると漁師もいなくなり、問屋が海苔を高く買えなくなるので、美味しい海苔がなくなってしまいます。海苔は進物用(ギフト)、家庭用、業務用と3 つの市場がありますが、さらに美味しい海苔を使った新しい市場を作れないかと考えています。

渡邉知さん

渡邉:
2020 年に東京オリンピックが行われます。今後、未来を見据えて注力していきたいことや目標はありますか?

山本:
日本橋は15 時が過ぎたらゴースト街だったのが、コレド室町などの影響で夜も繁華街になってきた。この流れに乗って、ギフトに変わる高級海苔を使った海苔バーができないかと考えています。これこそ先ほど言った、新たな市場の開拓ですね。

最上:
キャリアコンサルタントという仕事はやり方次第で、仕事の時間を減らして効率よく空き時間をつくることができます。その空いた時間で、自分のポテンシャルを最大限に活かせていない「もったいないキャリア」をなくすコンサルティングをしたいですね。活躍の場を変えたら活かせるキャリアってたくさんあると思うんです。将来的には、週2 日くらいそこにシフトしていく予定です。

樋口:
江戸時代に食堂から弁当屋になったように、究極的には、弁松という名前が残れば業態変更して、何屋になってもいいと思っています。ただし、方向性は「江戸文化を体験して欲しい」ということはぶらさないようにしたい。最近、私たちも含め、地元の人間も日本橋の歴史や魅力をわかっていないことが多いと感じています。日本橋はビジュアル的に江戸を感じるところではないが、歴史やいわれなど、見えない部分に歴史が詰まっています。それを弁松を通じていかに伝えていくかを考えていきたいですね。

最上裕司さん、山本貴大さん、Re:Designプロジェクトの様子

日本橋COREDO~新しい日本橋の創出を目指して~

三井不動産株式会社 商業施設本部 アーバン事業部 事業推進グループ 岡田浩明さん

岡田浩明さん

2013年からコレド室町をはじめとする日本橋の商業施設の開発や、販促プロモーションを担当してきました。1805年頃の江戸の人口は約120万人と言われ、日本橋は当時、世界一の複合都市でした。そして、経済・金融・物流・商業・文化の中心地として賑わっていたといいます。三井不動産はこの日本橋の街づくりのコンセプトを、「残しながら・蘇らせながら・創っていく」とし、歴史的建造物や伝統ある老舗街の文化を「残しながら」、街の景観や水と緑や賑わいを「蘇らせ」、最新設備のオフィスやハイクラスホテルなど、次世代に向けたな街の魅力を「創る」ことに、地元の皆様・行政と共に、取り組んできました。

2010年開業「コレド室町」、2014年開業「コレド室町2・3」では、かつての日本橋の賑わいを現代風に「Re:design」し、伝統と革新を共存させています。老舗が伝統の良さを活かした新たな取り組みの例として、だしを味わうことができる、にんべん「だし場」という和ダイニングが挙げられます。また、江戸時代、日本橋五街道の起点に集まってきた「うまいもん」を再現させるべく、全国の老舗名店・有名店の出店誘致も進めてきました。金沢の金箔専門店「箔座」等、、全国から「日本の良いもの・美しいもの」が集まっているのも特徴です。

通常ディベロッパーが商業施設を語るときは、建物の内装や外装やテナント誘致が一般的なのかもしれません。しかし、私たちは「点」ではなく「面」で街づくりを考え、施設のエントランスに暖簾、通りに提灯を配したり、伝統あるお酒やおみやげの店を誘致するなど、文化的な「顔作り」に特に力を入れた開発を行っています。そして、江戸時代に賑わった芝居小屋を現代に蘇らせるという観点で、日本橋三井ホールやTOHOシネマズ日本橋等のエンターテイメント施設の誘致も積極的に行ってまいりました。また、外装だけではなく、開発を囲む魅力的な「通り」を作ることも大事に考えております。

これからの街づくりの目標としては、2020年の東京オリンピックに向けて、世界中から訪れたお客様に街をあげたおもてなしができること、日本橋でしか体験できないことを体験できることを目指していきたいです。これからも伝統と革新が出会い続ける街であることを願っております。

日本橋の地域コミュニティを考える

NPO 法人日本橋フレンド・プランナー 佐久間七子さん

佐久間七子さん

2013年から、NPO法人日本橋フレンド・プランナーを務めています。またフリーのディレクター・ライターとして、不動産・観光などのプロモーションなどにも関わっています。日本橋と出会ってから、まず週に2回は日本橋で飲むようになりました。そしてどんどん日本橋の魅力にハマり、会社を辞めてフリーランスの道へ。今は自宅も日本橋に移しています。愛着のある日本橋をもっと盛り上げたい。そんな想いから、地域コミュニティの活動を行っています。

「日本橋フレンド」は2012年11月に有志によって設立された、ワーカーによる街づくりを行っているNPOです。「アサゲ・ニホンバシ」という日本橋を愛する約150名のワーカーが毎月1回集う大規模の朝会を運営しています。

この朝会では、「マエヒャク」と「アトヒャク」という2人のゲストスピーカーを招きます。「マエヒャク」とは、日本橋で前の100年を作ってきた老舗企業の社長さんや旦那さん、「アトヒャク」はこれからの日本橋を創っていくベンチャー企業の方やクリエーターです。日本橋にちなんだ美味しい「朝餉」を楽しみながらワーカー同士の交流を行っています。他にも日本橋を楽しむイベントを企画しているのですが、最近では、「TOKYO24区 日本橋」というプロジェクトを始めました。日本橋で働く“ワーカー”が中心となり、街の情報を発信したり、ワーカー同士が出会うコミュニティ作ったりする街づくりのプロジェクトです。現在、日本橋に詳しい“達人”と呼ばれる90人がオススメスポットをWebサイトやアプリで紹介しています。

私がここまで日本橋フレンドの活動に関わるようになったのは、大学時代NPOでキャンプリーダーをしていた経験が大きかったと思います。社会的に意義のあることをやっているのに、人もお金もなかなか集まらず、あまり世の中に伝わらないことにジレンマを感じていました。日本橋フレンドの“ワーカーが街づくりに関わる”という新しいNPOの形に魅力を感じ、この活動を通じて街や働く人をもっと元気にしたいと思ったからです。これからも「与えられた環境を最大限楽しむ」「来た船に乗る。自分の直感を信じる」「何をやるかよりも誰とやるか」をモットーに、日本橋の魅力を最大限に伝えられる活動を続けていきたいと考えています。

日本橋で繋がったキャリアストーリー(1)
日本橋を起点に人をつなぎ、人を育む「場」をデザインする

Like bla re(ライクブラリー)主宰 鳥羽真さん

鳥羽真さん

私は木造建築の設計者で、建築・設計の分野を中心に仕事をしてきました。建築の現場でで関わるのは職人や大工の方が多いです。その中で有名な大工さんから聞いた話で、設計は木と木を組み合わせる木組みだけではなくて、人と人を組み合わせる人組みも大事なのだと。まさに人とのつながり、そしてデザイン・知識とつなぐことをしたいと思っていました。独立するにあたり、図書館を意味するLibraryと課題解決のために能動的に行動するという意味を込めて、Like bla re(ライクブラリー)という屋号をつけたんです。それを表すのに、小さい頃から大好きだったシャーロック・ホームズの「踊る人形」に出てくる暗号を、屋号に使って表現しています。今日はこれだけは絶対言いたかった(笑)。

日本橋フレンドの「アサゲ・ニホンバシ」「ニホンバシ46 ドウフケン」に加えて、私が関わっている「一般社団法人NOCA」は、社会的に弱い立場の若者や一度意図した訳ではないのに社会からドロップアウトしてしまった若者達(ワカ)に、社会復帰するまで何かをつかんでほしい、そんな想いを持って取り組んでいるプロジェクトです。土をさわりながら農作業して自分のクイブチを作っていたら何か見つかるんじゃないかと。ワカたちを支援する仕組みとして資金や場所・材料の提供だけでなく、一緒にごはんを作って食べたり、家族や先輩のように話をするさまざまな役割を設けるお互い助け合う場作りもしています。

日本橋のコミュニティで知り合った平本さんと一緒に行っているプロジェクトが、「石巻・川の上プロジェクト」です。「地域の活性化は人を育むことから始まる」というコンセプトのもと、みんなでまちづくりを学ぼうというものです。「イシノマキ・カワノカミ大学」みんなでまちづくりを学ぼうという取り組みでは、一般の住民だけでなく町の組長や地域のの組長や地域の顔役に参加してもらい、石巻をどうPRできるかを考え、イノベーションを起こすためのキャンプなどが行われました。街づくりを考え、学び、そして街づくりに対して意見を言ってもらうというのが目的のひとつです。日本橋がきっかけでいろんな人との出会いや活動を知ることができ、つながってブレイクスルーが生まれていきます。そんな人が集まるエネルギーがあるのが日本橋なんだと思います。

日本橋で繋がったキャリアストーリー(2)
場のエネルギーをつなぐコミュニケーションデザイン

デザイナー 平本知樹さん

平本知樹さん

「イシノカミ・カワノカミ大学」では、「川の上」というコンテクストがある場でのコミュニケーション、場の設計、理念、やりたいことの空間をつなげるコミュニケーションを創っています。鳥羽さんたちと一緒に人をつなぎ、「こういうことを達成できたらいいよね」というゴールをイメージさせるワークショップを開催してきました。今日はこうした「場のコミュニケーション作り」とともに行っている、デジタルファブリケーション技術を使ったプロジェクトのうちのひとつをお話したいと思います。

ところが2013年以降、さらに3Dプリンタブームが過熱してきたのでいわゆる出版社から『3D Printing Handbook / オライリージャパン』という本も出版もしました。北海道から沖縄まで全国の人たちが読んでくれて改めて出版の意義を感じたのですが、実は自費出版も出版社からの出版もそこまで収入としては変わりませんでした。むしろ自費出版の方が良かったくらいです。これって、新しいインディーズの形ですよね。共感してくれる人たちだけに、自分たちで作った価値できちんと対価をもらう。メジャーだけがいいということはまったくないと気づかされました。

昨夏、大分の大学で「Product for 1000」という授業を行ったのですが、世界中で1000人の人がものすごく共感してくれる製品づくりを、企画から販売、実際に使ってもらうところまでの全工程をデザインする授業でした。こうした技術の発展に伴い、デザイナーの職能が変わってくるかもしれないので、形だけでなく、様々なトライ&エラーをしてほしいと思っています。こうした技術の進歩に伴う、新しい可能性に世界中がアンテナをはっていて、同時多発的に可能性のあることにチャレンジしていく、このワクワク感が、今とても面白いんです。