J1リーグ所属のプロサッカークラブ・鹿島アントラーズはこのほど、株式会社リクルートとクラブパートナーシップを締結。ビジネス人材採用における協業など、戦略的HRパートナーシップのもと、連携を強化しています。そして去る11月15日、両社がビジネスパーソンを対象に、スポーツビジネスコーポレートナイトを開催。MC高木香織氏のもと、第1部では、鹿島アントラーズ代表取締役社長である小泉文明氏を始めとする同社の経営陣が、経営の裏側をコーポレートの視点から語り、続く第2部ではクラブアドバイザーのジーコ氏が「人生100年時代のプロフェッショナル論」というテーマで講演を行いました。今回は、第2部のジーコ氏によるトークセッションの模様をレポート。プロフェッショナルとしての生き方や、長年にわたる経験から得た知見を、存分に語っていただきました。
株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー クラブアドバイザー ジーコ氏
株式会社リクルート Division統括本部 HRエージェントDivision Vice President
近藤 裕
選手として監督として、サッカーへの「愛」を貫いてきた
皆さま、こんばんは。
今日はお集まりいただきどうもありがとうございます。今日はこの時間を使って、少しでも皆様にとっていいお話ができればと思っています。
――ジーコさんは、長期的に成功し続けるために、どのような姿勢や習慣を大切にして来られたのでしょうか?人生100年時代において必要な心構えを教えてください。
必要なのは「愛」ではないかと思います。
私はサッカーに対する愛を強く持っています。自分が好きなことを仕事としてやれる環境があったので、これまでサッカーに対して全力で愛を注いできました。選手としても、監督としてもそうです。
加えて、長いサッカー人生において、常に同じ考え、同じ姿勢を貫き通してきたことも大きいと思っています。親を喜ばせたいという気持ちで常に目標に向かって突き進んできたことと、勉強とも両立しなければいけないとの思いも持ち続けてきました。キャリアを振り返ったとき、これまでの勉強がとても役に立っていると気づかされます。
私はサッカー選手でありながら、サッカーやスポーツに関する教育をしっかり受けてきたこともあり、ブラジルでスポーツ担当大臣も務めることができました、体育教師の資格も持てました。そしてサッカーコーチにも監督にもなることができました。リオでは選手会の会長として働くこともできました。やはり、サッカーへの愛と教育があったからこそ、このようなさまざまな役割を担うことができたのだと思っています。
――様々な国でリーダーシップを発揮してきたジーコさんですが、異文化の中でもリーダーとして成果を挙げるためにはどのようにすればいいでしょうか?
「郷に入っては郷に従え」というように、いかに自分がその国の文化や、チームが求めているものに合わせるかが一番大事だと考えています。その国の文化に自ら飛び込み、学ぶ姿勢が重要です。
イタリアでプレーしていたころは、イタリアがサッカーで一番の国でした。そして日本も、サッカーでは歴史のある国です。だからこそ、その国で自分が何かをやり遂げるというよりも、「現地の皆さんに貢献できるものは何か?」を考えながら海を渡りました。そして常に、自分自身もその国から何か吸収したいという思いでいます。特に日本においては、自分が何かを教えたというよりも、逆に学んだことのほうが大きかったと思います。
加えて、その時その時の時間を、できるだけ有効に使いたいと考えています。機会を自分から逃してはいけないとも考えています。
私が最初に日本に来た時は、3年契約の予定でした。しかし、蓋を開けてみればもう21年もいる。これは、最初に自分自身をうまく日本にアダプトできたというのもありますし、皆さんに貢献できたというのも大きかったのではないかと思っています。皆さんに認めてもらえたからこそ、こうして長い間、日本とのつながりが持てていると思っています。
――嬉しいお言葉ですね。日本に魅力を感じてくださったポイントをぜひ教えてください。
1980年代に、ブラジルのサッカークラブ・フラメンゴの選手として2回ほど来日したことがあります。もともと日本という国や文化に興味を持っていましたが、あくまで知識として知っている日本であり、実際のところまでは分かっていませんでした。ただ、実際に来日して、「その国の文化というものは来てみて触れてみないとわからない」ということを実感しました。日本では、規律・時間がすごく守られていて、そこが私のパーソナリティとフィットしたのだと思っています。
一方、食べ物については難しさを感じました。初めて来たときは苦手なものが多かったのですが、長く住む中でだんだん少しずつ食べられるようになりました。
私には家族がいるので、家族が日本にフィットしなければおそらくうまくいかなかったと思います。しかし、妻も子どもも、日本をとても気に入ってくれたのが何よりでした。今もたまに日本に来ると、自然と思い出話に花が咲きます。
明確な目標を持つことで、変化の中でも成長し続けられる
――キャリアを積む中で、役割がどんどん変化していったと思います。その変化にどう対応してきたのでしょうか?また、成長し続けるために心がけていたことを教えてください。
これまでを振り返ると実際、役割はかなり変化しました。選手から監督、監督からテクニカルディレクター、そして大臣も経験しました。リオではサッカーチームを運営していて、会長職も務めていたので、実にたくさんの役割を担いました。
変化の中では、自分の中に常に「○○を成し遂げたい」という目標を持たなければ、どうやって次に進めばいいのかが漠然としてしまいます。成長し続けるためには、目標をしっかり立てることが大事です。
また、おかげさまで大きなクラブでプレーし続けることができたので、そこで出会った人たちが大きな財産になっています。何かやりたいことができたときは、周りの人からアドバイスをもらい、そしてサポートしてもらいながら成長することができました。
つまり、変化の中で成長するには、まずは自分は何をしたいのかを明確に持ち計画的に行動すること、そして出会ってきた人たちを巻き込み、サポートしてもらえるようにすることが大切だと考えています。
加えて、他の人の領域に勝手に足を踏み入れないことも大事ではないかと思っています。
スポーツ担当大臣をしていたころは、ブラジル国内のスポーツ全般を見る必要がありました。クラブチームの会長時代は、どのようにチームを育てどのステージに持っていくのか、チーム全体を見て運営する必要がありました。そして監督としては、どのようなスタッフを集め、どのような計画のもと練習や試合に臨むのかを考える必要がありましたし、選手時代はしっかり練習して休んで寝るのが役割でした。
それぞれの立場ごとに役割があり、やることが異なります。それをしっかり自分の中で整理することが大切だと考えています。
――キャリアを積む中で、挫折やプレッシャーを味わうこともあると思います。もしジーコさんに挫折やプレッシャーを感じた経験があったのであれば、どのように乗り越えればいいのかヒントをいただけないでしょうか?
プレッシャーを乗り越えるのに最も大事なのは、土台、基礎だと思います。
サッカー選手ならば、練習をしてしっかり食べて寝ること。この三角形がうまく回ることで、しっかり落ち着いて準備ができ、どのようなプレッシャーにもめげることなく立ち向かえると思います。
今は、プレッシャーの多い環境に慣れない選手のため、心理カウンセラーや精神科医によるメンタルケアを実施しているクラブもあるようですが、私の現役時代にはそのようなものはなく、自分で自分のメンタルをコントロールする必要がありました。
私の場合は幸い、姉が心理カウンセラーだったので、つらいことがあったり思うようにいかなかったりしたときには、姉と話すことで気持ちをいい方向に向けることができました。
なお、プレッシャーに負けてしまう人は、自分に自信がなく、しっかりとした準備をしていなかったケースが多いと思われます。
学校の勉強に例えれば、生徒が学校に通い、先生の授業をしっかり聞いて自宅で復習をして宿題を行い、自分の知識として詰め込むことで、どんなテストを課されても自信を持って臨めるようになるでしょう。
サッカーも一緒で、しっかり練習、そしてしっかり食べて寝ることで、どんな大会でも普段通りのプレーができるようになると実感しています。
何かを成し遂げる時は、味方になってくれる人を見つけるべき
――事前に皆さんからいただいた質問の中から1つピックアップして伺います。
「ジーコさんは鹿島アントラーズのアイデンティティの礎を作った人だという記事を読みました。プロサッカークラブをゼロから立ち上げ、しかも強い組織にするためのポイントは何でしょうか」
大事なのは、いかにイメージを落とし込むかということ。
私が(住友金属工業蹴球団(鹿島アントラーズの前身)発足のために)日本に来たとき、住友金属工業の人と何度もミーティングを行いました。その中で、住友側が求めていたものは、鹿島アントラーズをビッグクラブにすること、そしてJリーグに加入出来たらそこで上位を目指すこと、さらには結果を出し続け常勝集団を作ること。したがって、私が鹿島アントラーズでやるべき目標も明確でした。
それまでありがたいことに、私はサッカー選手としてのキャリアをビッグクラブ、そして常勝集団と言えるチームで築いてきたので、その経験が鹿島アントラーズの基礎を作るうえで役に立ったと思っています。
この目標を達成するためには、まずはJリーグに加盟することが大前提でした。当時チームは日本リーグで2部に所属していて、1位か2位でシーズンを終えないとJ1に加入できないとわかっていました。しかし、シーズンが始まった当初、1位や2位で終われるようなチーム作りはできていなかった。なぜなら選手は皆、住友金属の社員であり、仕事を終えてから練習するという人たちばかりで、練習に集中できる時間が少なかったのです。
本気でJ1を目指すならば、選手にプロとしての意識を持ってもらうことが何より重要だと思ったので、住友金属の偉い人に練習だけに専念させてもらえるよう掛け合い、何とかOKが出ました。そこからチームが1つにまとまり、「J1を本気で目指す」という結束力が生まれました。
そして、日本リーグ最終戦を終える3試合前には2位以内が確定し、無事にJリーグ加盟が決まったのですが、そこからも大きな問題がありました。これまで社員選手のチームだったということもあり、練習グラウンドやスタジアムなど、プロとして活動できる施設がなかったのです。プロとして生き残り活躍し続けるためには、インフラを整備する必要があると訴えました。
鹿嶋市は人口4万人の小さな町ですが、このときに町おこしの一環として、クラブと町が一体となって環境を整備し、鹿島アントラーズを成長させてくれました。
結果的に、私たちの着想からわずか1年で、当時の鹿島アントラーズは他のクラブチームにはない最先端の施設を持つことになりました。だからこそ、国内の優秀な選手を確保することができましたし、ブラジルからも選手を呼び寄せることができました。プロとして活躍できる環境があったからこそ、そういった選手たちを呼ぶことができたと思っています。
改めて振り返ると、町を味方にして、一緒になって目標を成し遂げていくことができたことが、今の鹿島アントラーズの発展につながっていると感じます。町の人がたくさん練習を見に来てくれて、試合の応援をしに来てくれました。自分の協力者をたくさん見つけることは、成長するうえで大切です。私が来た当初は、鹿嶋市は4万人中、2万人が住友金属で働く社員、そしてその家族でした。そういった方々を味方にできたからこそ、小さなクラブから世界に発信できるビッグクラブに成長できたのだと思っています。
このような経験からも、何かを成し遂げる時は、味方になってくれる人を必ず見つけるべきだと思います。そして、全力を尽くして全身全霊で目標に、向かっていけば、必ず成功が待っていると私は信じています。
――ありがとうございます。最後にビジネスパーソンの皆さんにメッセージをお願いします。
自身の周りには、たくさんのチャンスが広がっています。日々の機会やチャンスをいかに見逃さないか。これが何より大事だと考えています。
チャンスを逃してしまうのは、チャンスに気づいていないから。しっかりとした準備ができていれば、チャンスを見逃すことはありません。
先ほどから繰り返し言っていることではありますが、皆さんは自分の未来の成功に向けて、しっかりと準備をしてもらいたいと思います。
そして、どうしても今はITなどテクノロジーに頼るところが多くあると思いますが、やはり一番の技術は「自分の力」ですから、そこを一生懸命磨いてほしいと思います。
そして人生を、豊かにしていきましょう!